『I’mPOSSIBLE』 日本版 アンバサダー

アスリートアンバサダーとは

アスリートアンバサダー制度は、パラリンピックに出場した経験のある「パラリンピアン」が、『I’mPOSSIBLE』日本版教材の普及啓発活動を行うものです。

関連するイベントやメッセージ動画などに登場し、パラリンピアンの立場からパラリンピック教育の意義や、「環境を整えたり、人の意識を変えたりすればできることが増える」という考え方を発信します。
多様性が尊重されたインクルーシブな社会づくりの理解者を増やしていくために、『I’mPOSSIBLE』日本版に関連する様々な場面で活動します。

*『I'mPOSSIBLE』日本版アスリートアンバサダーの学校訪問のリクエストは、現在受け付けておりません。

初代アンバサダー 香西宏昭選手 スペシャルインタビュー

海外生活を終えて日本に戻る決断をした香西選手。パリ2024パラリンピック大会を目指す現役プロアスリートでありながら、子どもたちの未来を創る活動を展開しており、『I'mPOSSIBLE』日本版の理念に通じるとの思いから、初代アスリートアンバサダーにご就任いただきました。今回は、香西選手の思いや、そこにいたるまでのアメリカ・ドイツでのご経験を伺いました。
(聞き手:JPC『I’mPOSSIBLE』日本版事務局)

香西宏昭選手
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7シーズン過ごしたドイツリーグから日本に戻った理由とは

ーー このたびは『I’mPOSSIBLE』日本版アスリートアンバサダーをお引き受けいただきありがとうございます!
香西選手には、「パラリンピックムーブメントの4つの価値」のうち「勇気」と「強い意志」に焦点を当てた教材ユニットに登場していただいています。そして、今回、新たにアンバサダーとして、教材の普及啓発の部分でも携わっていただくことになりました。
さて、香西選手は、自身の活動として既に定期的に学校を訪れ、車いすバスケの体験授業を行っています。その際の事前事後の授業で、『I’mPOSSIBLE』を活用いただけるようご紹介いただいているとのこと。学校での反応などはいかがですか。

香西選手(以下、香西):はい。活用していただいた先生方には、「車いすバスケをただ体験をして終わりではなく、事前にパラリンピックについて学んだり、体験後には振り返り学習をしたりもできる。よい情報をありがとう!」といった言葉をいただいてます。それから「映像教材や15分バージョンの教材もあり、短時間でも活用ができるのが使いやすい」との声も聞いています。

ーー それはうれしいです。ありがとうございます!
さて、香西選手は、長い海外生活を終え、2022年に日本に拠点を移す決断をされましたが、そこにはどんな思いがあったのでしょうか?

香西宏昭選手インタビュー

香西:僕は12歳で車いすバスケを始め、その後、2010年にアメリカのイリノイ大学に留学し、卒業後にはドイツでプロとして活動するなど車いすバスケを通じていろいろな経験をさせていただきました。
東京パラの後すぐにドイツリーグに戻ったのですが、自分のこれまでを振り返りながら、これからのことを考えるようになっていたんです。そんな中で、”本当にいろいろな挑戦をさせてもらえていたな、そしてそれはあたり前なことではなく、実は自分はとても恵まれた環境にいたんだな”と、あらためて気づいたんです。
そのような折、2021年末に日本に一時帰国をし、子どもたちに車いすバスケを指導する機会がありました。子どもたちといろいろ話してみると、2020大会の影響で車いすバスケに興味を持ってくれるような、きっかけづくりの場は確かに増えてきた。ただ、そこから先、挑戦していく機会は、実はあまり多くないとも感じたんです。だからこそ、今度は僕がそういう”場づくり”をしていく番だと思いました。

東京2020プレー
銀メダルを獲得した東京2020パラリンピック競技大会

車いすバスケのアカデミーをスタート

ーー ドイツから帰国されて現在はどのような活動をされていますか?

香西:来年のパリパラリンピックを目指しプロのアスリートとして活動をしながら、子どもたちのための車いすバスケの技術指導などを行う車いすバスケアカデミーをスタートさせて、そちらは月に2回稼働しています。また、今年度からは小中学校の授業として車いすバスケ体験を定期的に受け持つなど学校での活動も始めており、その事前事後学習で『I’mPOSSIBLE』日本版をご紹介させていただいています。

子どもたちにバスケの技術指導などを行う車いすバスケアカデミー
子どもたちにバスケの技術指導などを行う車いすバスケアカデミー
小学校での授業
小学校での授業

ーー パリを目指しながらの活動ということで、選手として一段落するのを待たずに活動をスタートした背景や思いをお聞かせいただけますか?

香西:先ほども少し触れましたが、やはり東京パラリンピックで銀メダルを獲得し、メディアにも取り上げていただくことによって、車いすバスケをしたい!という子どもたちが増えたとは思いました。
正直、現役としてパリを目指しながら同時にこのような活動をすることは簡単なことではないとすでに実感しています。しかし、車いすバスケをする機会は増えたけれども、その先にクラブチームに入るところに至るまでつながる場所がなかなかない、だからこそ、そこにつながる場所を少しでも早く作っていきたいという思いで取り組んでいます。また、現役選手であるからこそできることもあるのではないかと考えています。実際にプレーで見せることもできますし、試合を見てもらって感じてもらえることもある。”今しかない”と思って活動をしています。

アメリカ・ドイツの生活で印象的だったこと

ーー アメリカで6年、ドイツで7年と過ごした中で、印象的だったこと、具体的なエピソードがあれば教えてください。

香西:アメリカとドイツの両方で共通して言えるのは、スポーツが社会の中にある、根付いているという感覚があったということです。
アメリカで印象的だったことは、イリノイ大学の体育館にコートが5面あったのですが、車いす用、女子用、と書かれているコートがあったんです。もちろん、空いていれば誰でも利用できるのですが、そういった表示があったことに驚きました。誰もがいつでもスポーツを行える環境が整っていて、スポーツの機会が得られるようになっていると強く感じました。

7シーズンにわたりドイツの1部リーグでプレー
7シーズンにわたりドイツの1部リーグでプレー

香西:ドイツでは、車いすバスケのリーグでは、5つのディビジョンに分かれて様々な形で車いすバスケを楽しむことができていると感じました。
僕がいたチームのように海外からのプロ選手などトップを目指す選手もいれば、下部リーグには楽しみながら地域で活動しているプレーヤーもいます。元代表選手が、トップを目指すわけではないが少し強度を高く楽しみたいという場合は2部リーグを選んだり。引退して離れるということではなく、いろいろな形で楽しめる環境があるというのが印象的でした。
僕はトップリーグである1部リーグにいたのですが、試合の際、多くの応援を受ける一方で、ミスをすればブーイングが起きることも経験しました。日本ではそうした反応をしづらい雰囲気があるように感じるのですが、ブーイングが起きるということは、スポーツとして見られていて、シンプルに楽しまれているんだなと思いました。

同年代の仲間たちと同じ目標に向かって切磋琢磨
経験が大きな力に

ーー 話が前後しますが、そもそも留学しようと思ったきっかけや、アメリカを選んだ理由は何だったのでしょうか。

アメリカの大学リーグではキャプテンとして2年連続シーズンMVPに
アメリカの大学リーグではキャプテンとして2年連続シーズンMVPに

香西:12歳で車いすバスケを始めた時に、当時イリノイ大学のヘッドコーチをしていたマイク・フログリー氏と出会うことができたんです。”世界で認められる選手になりたい”、その目標のために”マイクさんのもとで学びたい”というのが最初のきっかけです。
選んだ理由というよりは、後になって思ったことではありますが、アメリカには車いすバスケの大学リーグがあったことは、日本との違いとして大きかったと思います。子どもの頃は、大人のチームに混ざり練習をしていましたが、アメリカでは、同年代の障害のある仲間たちと同じ目標に向かって切磋琢磨したり、チームを一つに作り上げていったりということができ、本当に良い経験をさせてもらったなと。
そのままずっと日本にいたら学べなかったんじゃないかと思うことがたくさんあって、そのうちの一つはリーダーシップをとることだと思っています。大人の中でずっとやっていると先輩選手に任せてしまう。それが、同年代でみんなでチームを作るとなれば誰かに任せるということではなくなってくるわけです。特にキャプテンに任命されて、チームを引っ張っていくという役割を担えたことはすごく良い経験でした。
また、アメリカの大学リーグでは、学業も一定の成績を残していないと活動ができないというルールが定められていました。バスケットボールを続けるために英語も頑張って、勉強も頑張ることができた。後々自分に自信を与えてくれることになったことも、後から振り返って、行ってよかったなと思う大きなことでした。

ーー 最後に、『I’mPOSSIBLE』日本アスリートアンバサダーとしてのメッセージをお願いします。

香西:イリノイ大学留学時に一番感じたことは、自分が車いすユーザーであることを忘れているくらい生活がしやすかったということでした。環境が整っていることもそうですが、周りの人たちの態度、対応、意識が変わるだけで、車いすユーザーが直面する課題のようなものがすごく軽減されるのだと、日々の生活の中で感じました。
日本でもそのような状況が、広がっていって欲しいと願っています。そのためにも『I’mPOSSIBLE』日本版をたくさん活用していただいて、共生社会について一緒に学んでいってもらえたらと思っています!

香西宏昭選手 プロフィール

香西宏昭(こうざい・ひろあき)

香西宏昭(こうざい・ひろあき)

プロ車いすバスケットボール選手。1988年生・千葉県出身。先天性両下肢欠損(膝上)。
東京2020パラリンピックで銀メダル獲得。国内所属チーム「NO EXCUSE(ノーエクスキューズ)」。

12歳の時に車いすバスケットボールを始め、高校1年でU-23日本代表。卒業後、米イリノイ大学に留学しシーズンMVPを2年連続受賞。大学卒業後、ドイツ1部リーグ・ブンデスリーガでプロ契約(7シーズン)。2021~2022「RSV Lahn-Dill(ランディル)」の主力選手としてリーグ優勝に導く。

パラリンピック4大会連続出場。東京2020大会では3ポイントシュート得点数、得点成功率ともに大会1位の活躍で銀メダル獲得に貢献。2021年に日本車いすバスケットボール連盟選手委員会を発足させ、2022年より国際車いすバスケットボール連盟選手委員会委員としても活動中。

2022年帰国し、四国、東北で車いすバスケットボールキャンプ(クリニック)を開催。2023年より子どもたちのためのアカデミーをスタートさせるなど精力的に活動を続けている。